ねむい
なんと、エントリーなるものをしてみたよ!笑
何事もやってみることがだいじですよね←
書くネタには困らなかったけど思ったより時間がかかった。そして集中して書ききったのでとっても疲れた
エントリーシートを提出した後は性格検査があって、帰国したらウンタラ検査を受けになんとかセンターに行かねばならないらしい。
しゅーかつってたいへんなんだなぁ・・・
とりあえず寝よ
今週はユースックだ!!
ねむい
なんと、エントリーなるものをしてみたよ!笑
何事もやってみることがだいじですよね←
書くネタには困らなかったけど思ったより時間がかかった。そして集中して書ききったのでとっても疲れた
エントリーシートを提出した後は性格検査があって、帰国したらウンタラ検査を受けになんとかセンターに行かねばならないらしい。
しゅーかつってたいへんなんだなぁ・・・
とりあえず寝よ
今週はユースックだ!!
帰国まで1ヶ月を切りました。
いよいよです。でも実感がありません。
どうでもいいですが髪をバッサリ切りました。描き慣れません。笑
一時帰国したら帰国後の修論とか就活が心配になってしまったのですが
ミラーに戻ってきたらバタバタすぎて考える暇がありません。←
不安になったり楽天的になったり・・・
特に就活解禁になってからメールがバンバン来るようになってそれがドキドキさせますね←
ああ、とうとうはじまってるんだなぁーみたいな
就活の不安には2つの要素があります
「みんながやってるのに」
「自分は何もしていない」
ヨーイドンでみんなが一斉に走り出したのに、その流れに乗らないというのは、多かれ少なかれ不安になるものです
また、情報がないという。そりゃあ判断材料がなくて宙ぶらりん。ぼんやりと不安にもなる。
Wi-Fiに左右される生活を恨む・・・マイナビがそもそも開けない←
そして、最近自分が何をしたいのか何者になりたいのか、わからなくなってきた
「ちえちゃんは夢があっていいね」とか「明確な目標があってすごい」とか言われるけど、「私の夢ってなんだ?やりたいこと?そんなものそもそもあったっけ?全然すごくないアンポンタンですが何か?」と違和感を覚えるようになってきた
なんだか空っぽである。元々空っぽだったのに自己陶酔して目を背けていたのかもしれない。
頭の整理が必要そうだ
今週末はちょっと1人でぼーっとするかなぁ〜〜
注1:今日は爬虫類の写真がぞくぞく登場します。苦手な方はご注意ください。
注2:本記事では「山地民」と「タイ人」という単語が登場します。タイに住む山地民で当然タイ国籍を持っている方もいらっしゃいますが、今回は便宜上「タイ人」「山地民」と分けて記述させていただきます
みなさんトッケイを知っていますか?
このブログでもだいぶ前に話したことがありました
まぁ改めて3行で説明すると
・めっちゃ大きいヤモリの仲間(大きいと30センチ以上ある)
・肉食系(蚊とかゴキブリとか食べますが、大きいトッケイだとネズミとかも食べるらしい)
・トッケイは幸せな家に住み着く、と言われている(肉食系だけど臆病なので見てるだけなら何もしません)
私の住むバーンプアンにはトッケイファミリーが住んでいます
お父さんトッケイ(大きくてちょっとビビる)
お母さんトッケイ(よく頭だけ出してる)
子どもトッケイ(何匹いるかは不明)
嫌いな人は鳥肌モノですが、割とファンも多いトッケイ。グッツも街でよく目にします。笑
この編みぐるみとか可愛くないですか?まさにタイ土産!笑
初めの頃は「ぎゃあ!」と騒いでいた私も、11ヶ月も同居してたら慣れました。
・・・そりゃあいると思ってなかったところにいたらビビるけどね。(漫画は私が体験した本当にあったこわいはなし←)
google先生によると、トッケイは日本に生息していないそうで、ペットショップなどで2000円〜ぐらいで売られているとのこと。
ミラーならタダだよ!!!!!!!
また、私の従兄弟曰く
「日本の動物園で見たことある」
とのこと。
ミラーなら
間近で
見れるよ!!!!!!!!笑
・・・これらの話はタイ人との鉄板ネタです。笑
(ちなみにタイではザリガニがあんまりいないそうで高値で取引されるらしいですよ。これまた日本にいっぱいいるって言うとびっくりされます)
そんなこんなでトッケイファミリーと愉快に仲良く暮らしているのですが
トッケイが苦手なタイ人は結構多いのです。
ヤモリやらカエルやらは素手で捕まえられるのにトッケイ(あとヘビも🐍)はダメなんですって。
約8ヶ月同じ部屋で寝ていたタイ人スタッフのジェーンちゃんもダメらしいし
(ちなみに上の編みぐるみはジェーンちゃんにあげました。笑)
話してみると「名前も聞きたくない!」という人もいる。
街と村の文化交流プロジェクトの際、同じ家にステイしたタイ人女子は、家で見かけたトッケイに悲鳴をあげて「危ないから離れて!!」と言っていた(彼女は家の中のヤモリにもビビっていた)
バンコクに住むタイ人男子は「もし家の中にトッケイがいたら警察呼んじゃうかも」とのこと。(そんなに?!)
ゆーて私もかつてはギャーギャー言ってた身なのでその気持ちはわかる・・・笑
私の中では、家にヤモリやらトッケイやら生き物がいるのは普通のことになっていました。もっと言えば
タイの生活→水シャワー、生き物いっぱい、冷房なし・・・etc.
が、普通だと思っていたのですが、どうもそれが普通じゃない人もいるらしい。
しかしながらこれがなかなか難しい話で、タイ人と一言で言っても居住地域や職業等によって生活環境が全然違うので「普通」とは何か?という議論をはじめにしなくてはならない。
例えばコンケン(タイ東部)に住んでいる日本人の家はお湯シャワー。でもバンコク近辺の大学に通うタイ人が住む寮は水シャワー。(年中暑いから水で問題ないらしい)
かと思えば、上記バンコクの友人宅のシャワーはお湯が出た。私たちが活動の中でホームステイする家は大体水シャワー・・・etc.
こんなかんじで、今の私の中でタイの普通な生活とはどんなものなのか?
よくわからない。どんな家に住んで、どんなキャリアを経て仕事してて、どんなもの着て食べてるのか・・・?
でも「じゃあ日本人の普通な生活は?」って聞かれても、ちょっと悩んじゃいそうだから、普通を語るっていうのは案外難しいことなのかもしれない。
タイでの暮らしはわからないことだらけ。でも、わかったこともある。
それは・・・
多くのタイ人にとって山地民に関わる暮らしは身近ではないこと
そして
そんな中で約1年間ミラーで活動した私は普通のタイ人よりは山地民のことを知っているということ
トレッキングとホームステイに行ってって・・・それタイ人にとってもレアな体験なんですって。なんかすごくない?!笑
そういう環境の中に1年間いる日本人の私は・・・相当レアな存在ですね。笑
(長くいるさくらさんはもーっとレアだ笑笑)
イメージでいくと「日本人よりアイヌ民族に詳しい外国人」って感じです←
そこで疑問になってくることがあります。
「じゃあ、タイ人にとって山地民ってどんな人たちなの?」
この問い、ミラーに初めて来た時からずっと抱いていました。いよいよミラー生活ラストスパートの今、まとめの意味も込めて書いてみようと思います。
次回→「lahu funny man から見る山地民とタイ人」
お楽しみに!!←
札幌に着きました。
なんだかんだ運良く順調にたどり着きました。
トイレでお尻拭いた紙を流せることに感動したのと
電車がスィーって感じで、すげーってなった
でもWi-Fiが見つかりにくくて面倒臭い←今契約止めているので使えない
コートもブーツもないけどなんとかなってます☆←良い子は真似してはいけません
今日はとりあえずゼミの先生にお会いしてきました。修論どうしましょう〜という話をするつもりだった。
でも先生は分かっていた。
「今修論のこと考えたらところで、タイに帰ったらまたタイ頭になっちゃうんだから、無駄な抵抗はやめよう」
仰る通りです・・・←
「で、いつ帰ってくるの?」
「それがまだ決めてなくて・・・できれば、4月にあるソンクラーン祭り(水かけ祭り)に参加してから帰りたいと思ってるんですが」
「そりゃ水かけてから帰ってきた方がいいな」
水かけよう(´;ω;`)←
私も心配なのです。就活、修論、間に合うのかなぁ、できるのかなぁ、ともやもやが堂々巡り。
みんな「なんとかなるから、それを理由にタイ生活短くするのはもったいないよ!」って言ってくださる。嬉しい。けど心配。でも嬉しい。
なんとかできるパワーが、私にはあると、信じたい。
とりあえず飛行機で映画見すぎてねむい
一時帰国のためにバンコクはスワンナプーム空港にいます。
羽田に着いたら次に札幌にとびます。
寒さ対策・・・が微妙なんですが頑張れ私
気温差・・・
ゼミの先生に見せるレジュメも、書きたい記事も書いてないし、絵も全然だし、ボーナスタイムで1ヶ月分くらいの時間降ってこないかなぁという気分です←
何かを考えるには今脳みそがうまく働きそうにないので、思ったことをつらつら書いてみる。
ナムラット小学校の話
ナムラット小学校は、毎週金曜日の午後に日本人チームが一コマ授業を受け持っていた。小5と小6の子どもたちが対象である。
始めはみんなで5年生、6年生を教えていたのだけど、ある時から5年生2クラス、6年生1クラスの、計3チームに分かれて活動することになった。
私は6年生の担当だった。
6年生、とはいっても、タイの学校はテストの成績によって留年することもあるので、実際は12歳よりも歳上の子もいた。でもどの子が何歳とかは把握してなかった。
低学年に比べて落ち着いているクラス。日本語に関心の高い子も多い。その反面、授業中に刺繍やスマホいじっているような子もいて、反省会をするといつもそこが話の焦点になった。
私個人としては、辞めさせて話を聞くよう言うのは趣味ではなかった。なぜなら私も長年ノートに落書きばかりしている生徒の1人だったから←
私たちが彼らにとって面白いものを用意していけば、彼らは何も言わなくても話を聞くだろう、と思っていた。それがとてもとても難しいことで、半分綺麗事だというのもわかる。
しかしながら幸いなことに私は「先生」ではない。言い換えれば「先生」のプライドもしがらみも、ない。
例えば、私は大学でソーシャルワーカーの養成課程を出ているので、相談援助とか精神保健福祉、そして貧困というキーワードが出てくるとどうしても反応してしまう。良くも悪くも、ソーシャルワーカー目線で物事をみがちだ。
「何にも知らないくせに」って、思ってしまうこともある。正直。
でも世のみなさんが福祉のことをよく知っているかといえば、そうではない。何にも知らないってのも、強みになったりするんですねぇ。
というわけで、私はナムラット小学校の6年生の日本語の先生でしたが、まるで先生らしくはありませんでした。←
何に挑戦しても、何を教えても、「新しいこと」なので、大丈夫かな〜とドキドキ。
11月の後期突入と共に、授業スタイルを変えました。授業計画を元にし、学習カードを使用して言葉を覚える・・・という学習スタイルをやめました。
その代わり、パソコンで写真を見せながら、時にはホワイトボードに書きながら、説明するスタイル。
授業の内容も、その時に一緒に学校に行く人にできるだけ関連することにしました。
というのも、授業を受け持つのは私みたいな長ーく滞在するボランティアだけではありません。いっかいぽっきりの参加の人も多い。だったらその機会を大切にした内容を組んだ方が、その方が教える側も楽しいだろうと思ったので。
ちょっと詳しい人から聞く話って特別で面白いのは、きっと子どもたちも同じな、はず・・・
ちなみに上記写真は漫画のNARUTOが好きなインターン生と計画した忍者の授業。
最終授業で「面白かった授業は?」と聞いたら、忍者が挙がってきたので、忍者さまさまですね・・・笑笑
また、子どもたちが勉強したいことのリクエストも積極的に受け付けました。
特に多かったのがオバケの授業。笑
ピンポイントで「口裂け女の勉強がしたい!」と言われたので、口裂け女の生い立ち、見た目、出会ってしまった時の逃げ方・・・をレクチャーしました←
その時にいつもダルそうにしている男の子が前のめりになって質問投げてきた時はびっくりした笑
この授業スタイルは、学習カードのようなきちっとした言葉の勉強ではないので、日本語学習としては身につかないデメリットもあるでしょう。
でも、少しでも日本のことを耳にして、興味を持ったら、勉強したい人はきっと自分で日本語の勉強するんじゃないかと思うので、それで良いじゃないかと私は結論を出しました。
そんな感じで9ヶ月間授業をもち、先週でおしまいでした。
あっという間でした。やりたいこと、もっとあったよーーー
最後の授業は
一期一会とまたね!という言葉を教えました。
外国語ってほんとーに難しい。私も全然タイ語読めないし書けないよ・・・
でも、一生懸命書いてくれました。嬉しい
最後に、少しだけ話す時間をもらい、みんなにありがとうを言えました。
私は心配がたくさんあったこと、先生じゃないし、タイ語わかんないし、日本のこと私も知らないことがいっぱいで、大丈夫かなぁって思ってたこと
でもいつもみんなが、わからないタイ語を教えてくれたり、質問してくれたり、大きな声で歌を歌ったり、楽しそうにしてくれて、とても嬉しかったこと。
助けてくれてありがとう。私はみんなの日本語の先生だけど、みんなは私の先生です
私は1週間の活動の中で、すべての学校活動には参加していない。だから1年間ずーっと学校活動に携わっていた、もう1人のボランティアリーダーだいちゃんは、ほんとーにすごいと思う。
先生なんてやったことないよ!な人
子どもとかよくわかんないよ!な人
日本語もぶっちゃけままならないよ!な人
大丈夫です。どんな人でも子どもたちにとって良い先生であり、子どもたちもまた私たちにとって良い先生、お互いに学び合いましょう。
・・・という、インドア活動のまとめでした。
こんにちは。写真を保存しているHDDが死に、1週間以上かけてようやくミラー生活の写真救出に成功しました。ディージャイ、ちるえです。
今日はメコン川に関するイベントに参加してきたときの話です。早く早く、と思っていたのに、時間が経ってしましました。
去る2/4、5の一泊二日,チェンセーンへ行って参りました。
メコン川に関するイベントがあり、それにミラーの自然災害防止プロジェクトの方々やタイ人インターン生たちが参加するとのことで、私もついて行かせていただくことに。
チェンセーンはミラーから約2時間のところにある街。欧米人の観光客も多く、ゴールデントライアングルで有名なチェンコンの近くにあります。(名前が似ていて紛らわしい)
道すがら、ラオスとの国境に寄りました。
イミグレーション、大きいですなー
目的地到着、川沿いでテント泊です
夜は今回のイベント趣旨についての説明・質疑応答の時間が設けられました。めちゃくちゃ寒いので、みんなで火を囲んで…
タイ語が分からない私には、メコン川流域で活動するNGOスタッフの方(初対面、タイ人)が通訳としてサポートしてくださいました。なんでもこの方、アメリカの大学院に進学し、8年間サンフランシスコに住んでいたんだそうです。(彼女が日本人だったこともあるようで、日本語も話していました…笑)
イベントの趣旨は、スローガン「Mekong river is not for sale(メコン川は売り物じゃないぞ!)」という言葉に集約されています。
イベント参加後に要旨をまとめたのが、上の画像です。
三行で説明すると
・中国企業「輸出ふやしたい。メコン川の石とか岩とかを爆破して、大きな船を通したい」
・タイ政府「ええやん!賛成!やっちゃおうぜ!」
・流域に住む人「いやいや、爆破されると魚や海藻が採れなくなって困るんだけど」
政府などの大きな機関と、山岳民族等の市民の間に入るのが、ミラーの基本スタンス
声をあげたいけれど、どうやってあげて良いか分からない流域に住む人々の声を、政府や企業の人々に届けます。
中国では既にダム建設等で、メコン川上流で爆破は起りまくっているそうですが、そこで被害を被るのは下流の人々。すなわち、上流の中国は困らなくとも、下流のカンボジアやベトナムといった国の人が困る。
一回の爆発で約300km規模の影響があるそうですが、それは上流ではなく下流の話。。。なんてこった。。。
河川以外にも、道路や空路など輸出手段はたくさんあるので、「急速な」開発はやめて…というのが、下流の人々の願いです。
その思いを伝えるべく開催されたのが、2日目のイベント
(タイ語で川は“メーナーム。母なる水、という意味です”)
スローガンや絵画で飾り付けられた河川敷には、タイ人だけではなく欧米人の人も集まっていました。
いつもはチェンライで有名な観光地「黒い家」にいるアーティストのおじさんも、来ていた…!!
その場で絵を描いてプレゼントしていました。
ソムタムも無料で提供していた。二回食べました←
お寺とかでよく目にします、これ。結構高額紙幣を挟む人も多くてびっくり。
集まったお金はメコン川のために使われるそうです。
関心の高さが伺えます。タイ全土で署名活動したら、1万人から集まったそうです
日差し照りつける中、老若男女たくさんの方が来ていたので、良い啓発機会となったのではないかと思います。
開発を進めたい気持ちと伝統を守りたい気持ち、どちらもわかる…そして、メコン川だけではなく、世界のどこにでもある話なんだろうな
仕方ないじゃんとか、話したところでわかってくれないとか、折れたり認めざるを得なくなったりとか、折り合いをつけるとか、よく言うけど
結果論に意識を向けすぎてはいけないな、と反省しました。結果がどうしても気になるけど、それに辿り着くまでにたくさんの人との小さな小さな対話があって、大きなイシューに繋がっている。
イベントを開催した、だから何?って思うかもしれない。開催したからって、メコン川の爆破を止めることはできないのかもしれない。
どうなるかはわからない。それでも、やらなければならないし、伝えなければならない。
万事塞翁が馬、結果論にフォーカスするというのは、視野が狭すぎる。
のかもしれないなぁ、と考えさせられたイベントでした。
どうなるメコン川。
日本にいるとあんまり馴染みがないですが、今後の展開を見守ります
最後に
今回私がこのイベントに参加できたのは、本当に幸運なことでした。
「こういうイベントあるらしいけど、行きたい?」と聞かれ「行けるならば行きたいです」と答えると、「そういうと思って言っておいたよ」と、さくらさん。
「私タイ語できないけど大丈夫?」と聞いたら「なんとかなるからおいでよ」とミラーのスタッフさん。
事前に概要を説明してくれたり、通訳してくれたり、行って帰るまで手を焼いてくださったタイ人インターン生たち。
質問にも丁寧に答えてくださった現地のスタッフさん。
たくさんの方にサポートしていただき感謝がつきません。
私にできることといえば、こうやって写真や日本語で書いた記事をシェアすることぐらいです。だから何?って感じなんですが、「だから何?」な小さなことも、やらないよりは意味を持つんじゃないかと思い書いてみた次第です。
塵も積もれば、なんとやら。
たくさんの面白いことに関わる機会をいただき、幸せです。
ハッピーバレンタイン
たくさんお菓子もらいました。
タイは女から男からみたいなことはなく、そしてホワイトデーも存在しないらしいです。笑
今日は久しぶりにリーパー村の子どもに会いました。
元気そうで何より。
私自身、子どもに献身的なタイプではなく、少し年上のともだちみたいな感覚なので、
偉そうなことは言えないし、言わないように気をつける。。。。
久しぶりにカンボジアを旅行していた時の写真を眺めていたら、一層背筋が伸びた。
カンボジアで感じた違和感。不協和音を聞いているような、落ちつかなさ。
それはカンボジアが他の国や機関から「支援(良いこと)をしている」という自己満足に浸るための道具のように扱われ、当人たちもそれがさも当然のように慣れてしまっている、そんな印象を受けたことに端を発している気がする。
あくまでたった1週間の旅行で感じたことだ。カンボジアのこととして語るには、あまりにもサンプルが足りなすぎる。
しかし実際私がそう感じたことも事実だった。自分の心が吐露したことには嘘をつけない。そしてつかない主義だ。
そこから学んだことは、私の「支援観」とは違うな、ということである。
あくまで私の主観の問題だ。
もはや「支援」なんて言葉を使うのもおこがましい気がしてならないのだが、便宜上使うことにする。
自分の気持ちいい支援というのは、なんとも気色悪い。
しばしば見かけるのだが、無自覚らしい様子でさらに残念な気持ちになる。
そこでは対象者はしばしば置いてけぼりにされる。なのに「あなたのため」とか言い出したりするから厄介だ。
結局巡りに巡って自分のためだろ、と思うのだが、「あなたのため」という言葉に対し「そうか私のためか・・・」と正当化しようとしてしまう人もいるので、これまた厄介なのである。そうなってしまったらスパイラルはもう始まっている。
私自身、ソーシャルワーカーの養成課程上うんざりする程「支援」という言葉を聞き、考えさせられてきた。
そして自身もたびたび支援を受けてきた。
今は、支援という言葉を極力使うのを止めた。
世の中で口にされる「支援」と私の感覚には齟齬があるように思うからだ。
「おー、ひさしぶり」「元気にしてるの?」
「そうなのかー」
そんな言葉しか出てこない。それが全てだ。
大学で勉強しようが、研究しようが、国家試験に合格しようが、
今の私にはそれが全てなのだ。そして、十分であるとも感じている。
背伸びをして、手を伸ばしておきながら、結局どうにもならないのは
お腹が空いている人の目の前で食べ物をちらつかせておしまいなのと同じだ。生殺しだ。期待させておいて突き落とすのは、何もしないことよりも残酷なのだ。
支援はできないんですが、一緒にお茶やコーヒー飲んだり、ご飯食べたり、お菓子たべたりはできます。そんで他愛もない話をするのは得意です。
美味しいジャスミンティーを見つけました。とりあえず、一杯どうですか?
もやもやを言葉にしてみたら、一気にこんなに書いてしまった.笑
勢いの至りなんですが、まぁそれも私の一部ということで、投稿しておくことにします
ハッピーバレンタイン。チョコレートとコーヒーの組み合わせに幸せを感じながら。