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ちるえさんの自由帳

1年間休学してタイのNGOでボランティアをしたトビタテ院生の日々と頭の中とお絵かき

「私がタイに来ちゃった理由」

2016年4月1日から、私の「留学」が始まったわけですが、「youは何しにタイ王国に?」と耳にタコができるどころか耳が抉れるんじゃないかというくらい聞かれました。

そしていつも返答に迷います。理由はひとつではなくて幾つかあって、それが幸運にも重なって、結果として「留学」という形で実現されたからです。

ここでは嘘をついても仕方がないと思っているので、正直に書きたいと思います。

 

①いろんなことが嫌になって逃げ出したくなってしまったから

自分で言うのもなんですが、元々変なことに巻き込まれやすい。乗り越えてしまえば、ただの「スベらない話」だけどそうなるまでに長い時間がかかる。

 2016年の春、大学院進学をきっかけに北海道にやってきた私の生活は、ドラマにしたらシーズン4ぐらいまで行くんじゃないかというくらい色々なことが起こりました。寒いし友達できなくて寂しかったり、人間関係で揉めたり、家族に変化があったり、警察沙汰になりかけたり・・・

今はもう笑い話ですが、その時の私にとっては笑い事ではなかったし、どうすればいいかもわからなかった。

その結果、札幌へ引っ越してわずか4ヶ月の7月末、私は全部投げ出して逃亡を図ることを決断したのでした。

 

②修士論文を書くにあたり、「体験する」ことが必要だと思ったから

でも単に逃亡だけをする勇気は私にはありませんでした。大学院を辞めたり休学したりすることだってできたけれど、その選択肢は私にはなかった。逃亡を正当化する何かそれらしい理由が必要でした。でもすぐに見つかりました。それが「海外のNPOやNGOでインターンかボランティアをする」ことでした。

私の大学院での研究関心は、簡単に言うと「日本の子どもの貧困」と「人と人との関わり」です。かつて私は貧困家庭の子どもたちと関わる学習支援ボランティアをしていました。その際、彼らと仲良くなるにつれて、学力が上がるだけではなく、子どもたちに様々な変化があるなーと思ったのです。そして、おもろいな、と。その「変化」について、論文として書きたいと思ったのでした。

でも、「関わり」を活動のメインに掲げる団体って、あんまりない。人との関わりって曖昧すぎ。物差しもないのに、何をどうやって計る?大抵、「学習支援」や「食事の支援」の文脈のなかで、「子どもとの関係を大事にしています」ぐらいに扱われる。なんかもったいないなー、と。

だから論文で「関係構築ってすごいんだぜ!」って言えたら、関係構築メインでやってみたいと思ってる現場の人々の力になれるんじゃなかろうかと、安直ながら思って、大学院に来てみたのでした。

しかし!なんせ先行研究が少ない。そして、私の大学院生活は上記の通り大荒れ。

だったら自分で研究のネタ仕入れてやらぁ!え?日本じゃ活動がほぼない?じゃあ海外に行けばいいじゃん!そうだ留学しよう!

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・・・当方、学部2年生の時半年間デンマークの学童保育に実習に行っていたことがあるので、海外に対するハードルは比較的低いと思われます。

 

ここで私のゼミの先生の名言を掲載しておきますね。

 「君ね、道外から北海道に来た時点でもう留学してるようなもんだから!」

 

③誰も反対しないでいてくださったから

行くとなったら、どんどん話を具体的にしていかなければなりません。先述のとおり私には留学経験があるとはいえど、前回のデンマークは交換留学、今回はゼロからの自己開拓留学。宣言したものの、え?私ほんとに留学できるの?という不安は拭いきれない。

 

とりあえず、行くと決めたことをゼミの先生と父親に報告してみる。

 

ゼミの先生は「論文なんていつでも読めるんだから何か体験できる時にしてきたほうがいい」と背中を押してくださった。泣けた。そして相談の結果、せっかくならば1年間休学して行ってくることにする。たしかにデンマークの半年間を考えると、やっと状況がつかめてきた時に帰国しなければならなかったので、1年いるというのが妥当な気がした。

 次に父親。母親は5年前に他界し既に定年退職している彼もまた、論文を書きたい某大学の科目履修生だったりする。「まぁやりたいならやれば?」とのこと。そう言うと思ってましたありがとうございます。そして

「俺としては(趣味の蒸気機関車を見に行くという名目で私に会いに来れるので)イギリスがいいなー」それは知らない。

 

その後も、色々な人に留学しようと思っていることを打ち明けたが、誰も「やめておきなよ」という人はいなかった。「おまえの人生なんて知らないよ」ぐらいの感覚だったのかもしれないけど、それでも嬉しかった。

夏休みの始まった8月、はやくどこかに行ってしまいたくてたまらなかった。

 

④受け入れ先が見つかったから

さて、留学するぞと決めたはいいが留学先が見つからない。

私が考えていた条件は以下の3つでした。

①人(特に子どもや青少年)と、人(ボランティアなどの専門職ではない人)が関わる活動をしている(関係構築の研究しているからね)

②治安そんなに悪くないところにある(残念ながら、貧困地域などはあんまり治安がよくなかったりする) 

③私を1年間(できるだけ長期)受け入れてくれる(≒ビザの発行に協力してくれる)

最初は、「先進国の貧困」研究において頻出である、NPOやNGOの活動がさかんなアメリカ、国が頑張ってるイギリスあたりの団体を当たった。しかしメールを送っても返信なし。心が折れそう。聞くところによれば、アメリカイギリスはボランティアやインターン目的で行くのはビザの都合上なかなか難しいらしい。

ビザ取得のことを考えると、やはり「現地で学生をする」というのが強いらしい。大学に交換留学?語学学校?どちらも、うーんという感じ。私は学校に行くつもりはなかった。現場に行きたいのだ。

行きたい地域の大学や語学学校に籍を置いて、週末ボランティアするという選択肢もあったが、私はメインで実践活動がしたかった。だから、そのやり方は違うなと思った。

枠を広げてフィリピン。ビザは比較的降りやすい。先生の知り合いが児童養護施設をやっていて、そこに行くことも考えたが、テロの問題などで難しくなってしまった。

海外赴任経験がありコネクションが期待された先生にアポを取って話してみたり、留学センターに行って相談してみたり、元いた大学の先生にも相談してみたりと、考え得る人や場所をあたってみたが、だめだった。

留学を斡旋しているエージェントを利用する予定はなかった。お金がかかることは、なんとなく気が引けたから。そして私が探した限り、短期は多いが1年受け入れているところが見当たらなかった。1年間時間はあるから、短期のボランティアをハシゴしてみる?いやいや、デンマークの教訓もあり、それは出来れば避けたかった。

留学先が見つからず焦る中、6月ごろから行くことを決めていたNPO法人good!のタイでのワークキャンプに参加する。山岳少数民族のラフ族の村にてホームステイしながら道路を作った。電波も届かないような山奥に1週間ちょっと籠もって、気づいた。

 

「・・・あれ、なんか、山岳少数民族の問題と状況って、日本の貧困の問題と状況に似ている気がするぞ」

 

なんでそう思ったのかわかるようでわからない。ただの直感。その直感の理由は、なんだ?

 

帰国した後も気になった。ぼんやり考えて考えて考えた結果、私はその山岳少数民族へのエンパワメントを行っているNGOの日本人スタッフの方にメッセージを送った。

 

「私が1年行きたいって言ったら、受け入れていただけませんか?」

 

こうして、やっと受け入れ先が見つかった、10月。私はタイ現地NGOミラー財団に1年間行くことを決めた。

www.themirrorfoundation.org

 

⑤お金・手続き・その他もろもろ全部なんとかなりそうだったから

そんないきさつで決まったタイへの留学。留学先を開拓すると同時に進めていたのが、トビタテ留学JAPANへの申し込み

www.tobitate.mext.go.jp

 実践活動OK(学校に行かなくてもお金がもらえる)、成績不問、海外経験不問、一部家計基準緩和。そして、返済不要。これは大きい。

大学院の友人がアメリカに1年間留学するにあたり、この奨学金をいただくことになったと聞き、トビタテの存在を知りました。知った時には「留学ね~、もう学部の時行ってるから、私には無縁だなぁ」とか思っていたのに、その1週間後にはその子に聞いて!私も応募することにした!」と宣言しているのだから、人生とは何が起こるかわからない。

もし、トビタテが通らなかったら、期間を短くするか、自分で稼いで貯めてから行くか、どっちにしろ留学は決行するつもりでした。

しかしありがたいことに、最終的に私はトビタテ4期生として採択され、お金の心配なくタイにいることができています。

 

ビザやその他もろもろに関しても、ミラー財団は長期ボランティアを度々受け入れていること、日本人スタッフの方がいること(そして、留学前に一度お会いしている)もあり、大きな問題なく出発の日を迎えることができ、現在も生活できています。

 

「留学したい!」と思うだけは簡単ですが、それを形にしていくためには大小様々な"やるべきこと"をこなさなければなりません。

めんどくさいこともたくさんあります、ドキドキすることも多くてもちろんストレスです。でも、何とかしたいと思ったら、なんとかなります。だいじょーぶ。

 

 

・・・ということで、長くなってしまいましたがまとめます。

私がタイに来たのは、「日本にいたくなくなった」また「留学したくなった」、そして「幸いにもその手数を揃えることができた」からです。

 

そして声を大にして言いたい。何かどうしたらいいかわからないけどとにかく辛いような状況に陥って、逃げ出したいと思ったら、逃げ出した方がいい。真正面から取り組んでも無理な時は無理だ。戦える時は今じゃないのかもしれない。その時まで、そこから離れるのも良いんじゃないかと思う。悪戦苦闘していたことが、時間が経ったあと嘘みたいにすんなりやり遂げられるということは、たびたび起こる。

 

・・・でも。正直な気持ちをもうひとつ書いておくと、自分は本当にこの決断をしてよかったのかなと、実は思っていたりもします。

というのも、留学を決めたあとも様々なことが起こりましたが、味方になってくれたり一緒になって怒ってくれたりする友人が自分にはいるんだと気付いたからでした。

だから、その人たちと離れるのがとても寂しかった。あんなに早く逃亡したいと思っていたのが嘘みたいに。自分はいつも1人だなと思って泣いてた私が、自分は1人じゃなかったんだなってやっと思うことができたのは、羽田空港のロビー、タイへ向かう飛行機に乗る直前でした。

でも来たかった気持ちも嘘ではないし、来てしまったからにはベストを尽くすまでだし、寂しいけれど本当に大事にしたい人とは物理的に距離が離れていても付き合っていけると思うので、前に進むのみだと思っております。

 

そして、もし何にもないゼロの状態から海外に行きたいと思ったら、間違いなく実現の鍵となるのは「人」だと思います。特に先達たち。自分と同じようなことをやってのけた先輩たちに、直接会って話を聞く。直接会うのが大事だと思う。また、自分の考えを聞いてくれる先輩たち。自分の信頼できる人、仲間。その人たちに自分の考えを話して、意見を聞く。自分の心の声と、自分の味方になってくれる人たちの声を、聞ける余裕は持っていたいですね。

 

揉めた人とか自分の不幸とか、過去を変えることはできないけれど、

「おかげさまで私いまこんなに楽しいわ!あの時はありがとな!」って言える生活を送ることが、とりあえずの目標です、がんばります。笑