先日私の父親が日本からチェンライに来た際、一冊の本をミラーへ寄贈していった
吉岡忍さんというノンフィクション作家の方が書いた『日本人ごっこ』という本です。
(以下はそのネタバレを含みます。ご注意ください。)
話の大筋は、
北タイの田舎出身のカンティアという14歳の女の子がバンコクで日本人大使の娘だと嘘をついて冒険が始まる・・・
という1986年に実際にあった事件(?)をうけて、当人カンティアに会いたくて筆者がタイを探し周る話。
「カンティアのお話」みたいな感じかと思いきや、人の風貌や町の雰囲気、所得や暮らし向き、会話も細かく書かれていて、まさに「ルポルタージュ」という感じ。取材してる感覚を味わえる。
私自身は、話の中に出てくるバンコク、チェンセーン、メーサイには行ったことがあるので、鮮明に浮かぶ景色と本に書かれている約30年前の様子を比べてみるのも面白かった。
同時に、まだ行ったことのないイサーン地方についても書かれていて、今はどうなってるんだろうなぁ〜とか想像してみたり。
干ばつがひどくて農業が難しい→生活が苦しい、とのことだけれど、灌漑事業はその点にコミットできたんだろうか。
1番印象的だったのは
「日本人ごっこ」という言葉
カンティアが日本人大使の娘になりすましていたことだけを指しているのではないのだ。
本の終盤で「彼女以上に(タイ人)みんなが日本人ごっこをしている」という視点を提示され、ハッとさせられた。
ゆーて日本もアメリカのモノとかお菓子とかたくさん入ってきて、なんかそっちの方がオシャレ〜みたいな雰囲気はやっぱりある気がする。
そう考えると日本人もアメリカ人ごっこしてるよね。笑
ごっこ遊びってたのしー。私もおかあさんごっことかセーラームーンごっことかしましたよ。(ええ世代ですよ)
まぁ当時はその遊びが自身のアイデンティティ形成に影響を与えてるなんて考えもしなかったけど←
ごっこ遊びが、「自分たちはダメなんだ」みたいな自信のなさに終結するならそれって超残念。
本によれば、30年前のタイにはその残念アロマが漂っていたようだけど、今のタイはどうだろう。山地民の人たちは?
私はタイよりも先日カンボジアに行った時にそれを強く感じたことを思い出した。
アニキさん(シェムリアップのガイドさん)に「僕の村に行こう」と言われて連れて行かれた時の話。この後ずーーーっとモヤモヤしていて描いたもの。
もはや「アイデンティティのなさがアイデンティティ」なんじゃないかとすら思う。←
けど、やっぱりそれは違う気がするので、カンボジアのアイデンティティを感じに再度訪れたいなぁと思う。
とりあえずミラーに来たことのある人ならば親近感を持って読める本だと思いますので興味のある方は是非ご一読ください。(バーンプァンの本棚に入っております)