ちるえさんの自由帳

タイ・チェンライのNGOで1年間ボランティアをしたトビタテ生の日々と頭の中とお絵かき

ありがとうミラー財団~メンタル激弱人間は1年間タイの山奥NGOに留学してソーシャルアクションの実践者になると決意したってさ~

 

帰国しました。

 

1年と12日のミラー生活を終えて、4月13日に帰国しました。

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東京は桜がまだキレイでした。いいねぇ~

今はもう大学院のある札幌にいます。新生活スタート。なんだか実感涌かなくてふわふわしてます。自分の部屋も、自分の部屋じゃないみたい。

 

改めて、ミラー生活の振り返りをしたいと思います。

超長文になりました(大汗) 例によって時間のない方は小題だけ追ってみてください。文中のリンクは、私が過去に書いた関連記事です。

 

1.1年と12日前

羽田空港の出発ロビーで1人泣いていたのが懐かしいです。

1年間休学しミラーに来た理由は、研究への示唆を得たいというポジティブな側面ももちろんありますが、ブログで何度か書いた通り自身のメンタルの問題というネガティブな側面もありました。

あの時は不安でした。環境と人間関係のリセット。1年後自分は生きているだろうか。そんなことを考えていた気がします。

 

 2.ミラーに来てから

やりたいと期待していた何十倍も何百倍も多くのことを経験することができました。

 

・日本人チームとしての活動

学校での日本語・日本文化の授業、村の子どもたちとの子ども会といったインドア活動、セメントを捏ねたり竹を切って運んだりのハードなアウトドア活動。初めの頃は何もかもに自信がありませんでした。教員でもないし頭悪いのに誰かに何か教えるなんて無理、体力ないのにアウトドアなんて迷惑かけるだけ、そう思っていました。

今はそれでもいいんだと思っています。教えるのが無理なら教えようとしなくていい、体力ないなら体力なくてもできることをすればいい。見方を変えてみたら、何倍も楽しめるようになりました。

 

・思い出深いナムラット小学校6年生

学校の活動は週に1回ナムラット小学校6年生クラスを中心に参加していました。

初めは上記の通り無理無理とネガテイブな感情もあり、憂鬱だなぁと思ったこともありました。しかしある時、完璧じゃなくても良い、自分たちにしかできないことを自由にやってみようか、そう思えて実践できるようになってから、楽しめるようになりました。

子どもたちには「手が焼ける変な日本人が来たなぁ」と思われたことでしょう。しかし、おかげさまで私は彼らから多くのことを学ぶことができました。彼らこそ私の先生でした。子どもたちと共に楽しんだ時間はかけがえのないものになりました。彼らにとってもそうであるといいのですが。

一緒に練習した、アンジェラアキの「手紙」は、思い出の歌になりました。

 

・ホームステイ

私は村のホームステイが大好きでした!ごはんは美味しい、景色最高、行くまでの山道もアドベンチャー、村の人たちの優しい笑顔、これは実際に体験した方にしか伝わらないと思います。

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夏に来た昭和女子グループJSTグループと共にホームステイすることができたのも良い経験でした。ホームステイに対し不安でいっぱいで暗い顔をしていた人が、帰る頃にはお別れに泣いていて、案ずるより産むが易しとはよく言ったものだなぁとしみじみ思いました。

 

・日本人チーム外の活動

ファランチームとの活動街と村の文化交流プロジェクト(クルーバンノーク)メコン川流域の開発に関するイベント・・・日本人チームの活動に留まらずミラーのさまざまプロジェクトに携わることができました。

私は英語やタイ語ができずご迷惑をおかけしてしまうことも多々ありましたが、それでも参加する機会をいただけたこと、参加中幾度も親切に助けていただいたこと、感謝してもし尽くせません。

プロジェクトを通じ、彼らの生活を知ることはもちろん、いわゆる“タイ人”の暮らしや考え方に触れたり、国籍を問わず考え方を共有したり、全てが貴重な学びの機会でした。

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クルーバンノークで同じホームステイ先の女の子が、コムローイを何よりも楽しみにしていた私宛に後日送ってくれた手紙。「コムローイ見たら私を思い出してね」ですって。見なくても忘れないよ

 

たくさんの素敵な人と繋がることができ、彼らは一生大事にしたい仲間です。

 

・いつのまにか増えた知見

オリエンテーションの際に使用する「山岳民族の問題とは何か?」というパワーポイントをリニューアルする役割を引き受けたのはミラー生活2ヶ月目でした。情報を集めながら写真を集めたりして作成を試みたのですが・・・結局作ることができませんでした。

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今思うに、山岳民族の問題が言葉上何かはわかっていたけれど、その背景についての知識が圧倒的に足りなかったことが原因でした。背景知識とは、農業や開発学、国際関係などなど多岐に渡るものでした。私はそれらについて「難しいなぁ」の一言で敬遠していました。

が、ミラー生活残すところ3ヶ月目になって、改めて作成してみたところ、案外スッと完成したのです。驚きました。

実際に行った場所や人の顔などの具体的なエピソードを以って、いつのまにか「難しいなぁ」の分野について学ぶことができていました。

しかしながら、これらはまだ取っ掛かりにすぎません。今後は論文や研究なども併せて、知見を深めていきたいと思います。

 

・書き描きまくった

ステッカーつくって商品にしたりもしました。ブログを作りミラーのことはもちろんあらゆる記事を書きました。私が「やってみたい」と提案したことがきっかけです。

当初は「私ごときが偉そうに」「皆んなと違う活動をする価値あるのか?」と思ったりもしましたが、さくらさんが「いいんじゃない?」と言ってくださったこと、同じくボランティアリーダーのだいちゃんが学校活動を中心でまとめてくれていたこともあり、続けることができました。ブログの件について、背中を押してくださった2人に心から感謝しています。

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ブログを作ろうと思い付いたのは、トビタテ留学JAPANに応募した時でした。世の中の問題は見えにくいこともあり、気づかぬうちに加害者にも被害者にもなりうる、それらに気付くきっかけづくりに挑戦したい。そして、難しいそれらをわかりやすく説明したら関心を持ってもらいやすいのではないか。その手段として絵や漫画を描いてみよう。

 

・正直、ブログの反響は想像以上でした。笑

ミラーに来たボランティアさんで「ブログ読んでます!」と仰ってくださった方もいました。「私もミラーに行きたいです」とコメントをくださり本当に来てくださった方もいました。更にはミラーだけではなく、「私も留学したい」「メンタル弱いので話を聞きたい」など色々な反響がありました。

書き描くことに集中して挑戦できたこの1年間は幸運でした。私ごときが・・・から一転、色々な評価があると思いますが、工夫を織り交ぜて何かを発信していく面白さに魅力されました。将来的にも、どういう形になるかはわかりませんが、考えを発信していくことは続けて行きたいです。

 

・できることが増えた!

私が一眼レフで写真を撮って、水彩色鉛筆を使って、ギターとウクレレを弾いて、バイクに乗れるようになって刺繍できるようになって、タイ語で話してみたりして、赤ちゃんをあやしたり寝かしつけたりして・・・誰が想像したでしょう。上手い下手は置いておいて、技術的にたくさんのことを習得しました。どれも無理無理と言っていたことばかりです。

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人間やればなんだってできる、好きこそものの上手なれ。新しいことを好きになれるきっかけに事欠かなかったミラー生活でした。

 

3.今の自分

そんなわけで、この1年で私も大きく成長しました。

 

・「自分ごときが」から「自分にしか」へ

一番の変化は「自分ごときが」と言わなくなったことです。自分ごときが、無価値で、人の役に立たなければ価値のない自分ごときが、何かを提案したり人と違う意見を持つなんて、人と違うことをするなんて、とんでもない。

凝り固まったそんな声がどこからともなくことあるごとに聞こえていたのですが、いつからかなくなりました。人の役に立とうとするのをやめたからだと思います。

そう思えるようになったのは、日本人ボランティアさんと力を合わせて色々なことに挑戦したからです。

私がこだわった、ボランティアさんの好きなことや得意なことを活動に盛り込むということ。「日本人ボランティア」という枠を超えて、「自分」が活動に携わるということ。既存の活動に、新しい切り口を加えていくこと。

個人が活きる、組織・ひいては世の中も、きっと革新していきます。その方が長い目で見て人の役に立つと思うのです。

子どもたちも、ボランティアさんも、共に生きることに喜びを感じながら自由であれ!

自身もそうありつつ、何かに携わる際は仲間たちがそう思えるように、アクションを起こしていきたいと思います。

 

・「無理」に縛られない

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無理を無理にしているのは自身だと痛感しました。やってみたいならやればいい、やってみなければわからない、頭で考えていることと実際は大分違いました。

これは私だけでなく、周りの人を見ていても思いました。村やミラーで撮影した写真を日本の友人に見せると、「よくこんなところ行けるね」「イモトが行くところじゃん」「私には無理」と、時々すごい顔をされます。笑

ホームステイに行く前に同じようなことを口にしていて、行った後にも尚口にしている人に、1年間ミラーに居て私は出会いませんでした。百聞は一見にしかず。人の話を聞くのは大事ですが、出来る限り自分で挑戦してみて物事を判断していきたいです。日本人ボランティアを受け入れ、送り出した1年で実感と共に学んだことでした。

 

・一層“マイペース”になった

元々マイペースな性格ですが、一層マイペースになりました。「周りと違う」ことに何かとストレスを感じていたのですが(ストレスを感じながらも結局やるんですが)、以前より少なくなりました。

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「同じでなくとも、自分は自分でいいや」と思えるようになったのは、ミラーでマイペース生活を貫いて、マイペース慣れをしたからでしょうか。そこらへんはよくわかっていません。←

その結果、何か失敗しても、相手の行動にぐさっときても、復活が早くなりました。とても生きやすいです。このまま継続できるようにがんばります。

 

4.今後の課題と将来ビジョン

私は帰国してからこそが本番だと思っています。

 

・課題①もっと書き描く!!

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らくがきしなくても描く時間はたくさんあったからね

 

ミラーで書き描くことで活動していた、とはいえ、その量は多くなかったことが反省点として挙げられます。電波が悪いだの、他にやることがあるだの、色々な理由をつけて疎かにしてしまったこともたくさんありました。何がなんでもやってやる!というガッツが足りませんでした。帰国後は大学院に復学し、修士論文に挑みます。必然的に文字を書くことは増えます。同時にそれをイラストにおこす、という作業に臨んでみたいと思います。

・課題②タイ語の勉強を継続します

元々座学が苦手で、本を読んだり書いたりして言語を勉強するよりも、ひたすら話して習得する方が得意でした。おかげさまで少しは話せるようになりましたが、まだまだ勉強することができたなぁ、という反省点があります。というのも、日本人チームのタイ人たちは日本語が上手であること、英語で通じる場面もあったことにより、環境に甘んじました。

幸いにも、大学のキャンパスにはタイからの留学生も多く、話したり学ぶ機会は見つかると思います。帰国してからでも間に合うと信じ、読み書きも視野に入れ勉強したいです。

 

・将来ビジョン→スイッチプッシュソーシャルアクション

「日本帰ったらどうすんの?」と多くの方から質問を受けましたが、自分でもよくわかっていません。笑 ただ、ミラー生活の中で、私には夢ができました。

それは、鉄拳さんと池上彰さんを組み合わせたような、スイッチプッシャーになることです。

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鉄拳さんはお笑い芸人の方で、近年号泣必至のパラパラマンガが話題です。池上彰さんはご存知の方も多いでしょう、分かりやすいニュース解説が人気ですね。

2人に共通しているのは、自身がブランド化していることです。鉄拳さんが新しい作品を出したら「待ってました!」と見たくなるし、「池上さんが何に関心を持っているのか」「どうやって解説を組み立てているのか」という点は、常に注目されています。

私は、鉄拳さんのように自身の手で創り出したもので「あっ」と目をひかせながら、池上さんのようにわかりやすく社会問題を提示できる「ちるえブランド」をつくりたいです。

 

・きっかけはWi-Fi難民になったこと

やはり、人の意識というものが織りなす見えない大きな力というものは、存在するし、どうにかできないのか、とやるせないながらもあきらめられない気持ちなのです。

タイに来て、電波状況の不安定な中、やっと拾えた日本のニュース、世界のニュースは、いつも以上に目を引きました。

「自殺するくらいなら辞めればよかったのに」「障害者は無価値」「生活保護の不正を暴く」「移民に割くお金はない」「壁をつくろう」「女の子だから仕方が無い」…現実には、もっともっと複雑な現状と要因が絡み合っているはずなのに、なかなか伝わらない。自分は関係ない、と思っている人の考え方が、重なり重なり、社会という大きな固まりになって、当事者にのしかかる。それに苦しんでいても、目には見えないので、「苦しいのは自業自得だ」と言われてしまう。

自分は関係ない、と思う人が一人でも減ったら、世の中はほんの少しでも変わっていくのではないかと思うのです。

無理無理、と思っていたところから、どんどん新しいことにのめり込んでいった、私のように。何かスイッチが入ったとき、人間は動き、世の中も動くではないでしょうか。

書き描くことでわかりやすく社会問題を発信する「ちるえブランド」を以て、何かが変わるスイッチを押すことができる、ソーシャルアクションの実践者になること、これが私がミラー生活で思い描くようになった夢です。

 

5.最後に

私のミラー生活は、本当に本当に本当―――にたくさんの方に支えられていました。

・トビタテ留学JAPAN

ミラー生活の上でかかったお金のほぼ全てをカバーすることができました。お金に心配なく生活を送ることができ、その分目の前のことに集中することができました。また、世界中にいるトビタテ生は切磋琢磨し合える私のかけがえのない仲間であり、学びは一層深いものになりました。彼らに出会う機会をいただくことができたという点でも、トビタテには感謝してもし尽くせません。長い目で貢献していきたいと思います。

 

・日本から世界から

「私、留学しようと思うんです」の一言に対し、反対せずに「行けるときに行っておいで」と言ってくださったゼミの先生、その一言を言うのは大変なことであろうに「行きたいなら行けば」と背中を教えてくれた父、「帰ってくるのを待ってるからね」「何か出来ることがあったら言ってね」と言ってくれた友人たち、「どうしてる?」と連絡をくれる友人。彼らに、助けを求める力がない自分が情けなくなります。それでも見捨てずにいてくれたことに感謝感謝です。恩返しするのには長い時間がかかると思いますが、引き続きどうぞよろしくお願いします。

 

・ミラーの仲間たち

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ミラーのボランティアさんやスタッフさん全員を描くことはできませんでしたが、最後に似顔絵を描いて、その裏にお手紙書いてプレゼントしていました。ここに載せてない人も含め、1年で90人以上の似顔絵を描きました

 

ミラーで共に活動したボランティアさんたち、インターン生たち、みんなに出会えて良かった、一緒に活動できて嬉しかった。また会いたいです。

共にボランティアリーダーを担ったムードメーカーのけんぼー、同じ部屋で8ヶ月を過ごしたスタッフのジェーンちゃん、1年間学校活動において特にリーダーシップを発揮しただいちゃん、たくさん迷惑をかけ嫌な思いをさせてしまってごめんなさい、そして見守ってくれて本当に本当にありがとうございました。

そして、さくらさん、アソーさん。タイのお姉ちゃんお兄ちゃん。2人からいただいた叱咤激励は、心の糧として、今後も大切に温めていきたいです。杏ちゃんと過ごせたのも、とても幸運なことであり、貴重な経験でした。チャバとつよしと共に、家族3人(と2匹)が今後も幸せでいっぱいであることを、心から願っています。ありがとうございました。

 

 

長くなりましたが、ミラー生活は終わっても、私の人生はまだまだ続くわけで、むしろここからが本番だと思っています。

ミラーで得たこと・考えたことを、どう活かしていくか…今後もブログは細々と続けていく予定です。

復学し、就活し、修士論文を執筆し、無事修了できるのか?!

無事就職できるのか?!

 

引き続き生暖かい目で見守っていただければ幸いです。

 

桜が待ち遠しい札幌から

また世界のどこかで~

 

野澤智媛/ちるえ