いつのまにか9月になっていて、しかももうすぐ半分終わってしまうのですね。
この夏(とはいってもタイは年中夏なのですが)私は2つのグループにスタッフとして参加しました。
私も特別な体験がたくさんできて、学び深い時間を過ごすことができました。
忘れないうちに(もうだいぶ経っちゃったけど)メモしておく。
グループのひとつは私の母校である昭和女子グループ。1週間のスタディーツアーで、ホームステイやNGO視察などを行いました。
今日はNGOにて考えたことを書きます。
NGOは、メーサイにあるストリートチルドレンのドロップインセンターを訪問。わかりやすくいえば、駆け込み寺みたいな。
気づけばたしかに防犯対策がばっちりな雰囲気の町。そんな中にあったちいさなオフィス。
⇧日本でも「夜回り先生」とかが有名ですが、助けたい相手は待っていても来ない。出向いていくのが、支援の鍵となる。どこの国も同じなんだなぁ。
私が1番印象深かったのはこれ。
壁に貼ってあった。
個人的に、見ていて辛い紙だった。「こうあるべき像」を対比的に突き付けられることほどしんどいことはない。
「理想」が何かって頭では分かってるんだけど、そうできない時の虚しさ。しんどい状況に追い込まれても、結局それは「自分で道を選んだ結果なのだから、自業自得」と言われてしまう。
二重にしんどい。
人間を動かすコックピットみたいなものがあるとすれば、「頭」だけじゃなくて「心」にもある気がして、必ずしも同意見ではないんじゃないかと、常々思っている。
NGOのスタッフさんがこんなことを話していた。
某国際機関がHIVが蔓延する村にて、性教育や麻薬の危険性を伝える活動を行ったそうだ。
しかし残念ながらそれは成功せず、蔓延する一方。
さて、その後どうしたか。
古い注射針を使いまわしてHIVが蔓延するならば
新しい注射針を配れば、食い止められる。
話を聞きながらとっていたメモ。思わずイラスト付きで「まじか」のコメント。
でもこれが現実なのである。
「ダメよー」と言って止めるなら、とっくに世界からHIVは撲滅されてるだろうし。
「頭」でダメだとわかるだけではだめで、「心」から納得しなければ、意図した行動には結びつかない。
(痩せるためのメゾットをどんなに頭で組み立てても、やろうと思う意欲がないと結局ダイエットにならないのと一緒)
もし何か問題に何かしたいと思ったら、そういう意味で「頭」(理性的)にも「心」(感情的)にも、働きかけるのがベターなんだと思った、NGO訪問でした。
良くも悪くも他人のことってわからない。「なんでやねん意味わからん」ってことも、よくある。
でもきっとそこには、その人の頭と心がコックピットでケンカをして、肘でボタンおしちゃった、みたいな、その人にもよくわからないプロセスがあるんだと思うよ。
生きていく中で「なんでやろうなー?」ということに出会ったら、「頭」と「心」のコックピットの話を思い出してみてください。
世の中きれいじゃないけど、だから面白いと思える人と瞬間が増えたら、なんとなく少しだけ生きやすい世界になる気がする。
ストリートチルドレンと彼らのための活動は、今後もっと知りたいなーと思ったので調べてみます。