ちるえさんの自由帳

タイ・チェンライのNGOで1年間ボランティアをしたトビタテ生の日々と頭の中とお絵かき

修了するのに研究室から出られず色々と振り返ってみた

1.現状:院生生活が終わらない★

 明日はいよいよ修了式。もうすぐ社会人。最後の札幌生活を満喫しています!

…と言いたいところですが、今だ研究室に立て籠もっています。

タイから帰国して爆速でこなした就活、修論、加えて同時並行で進めたプログラミングと簿記。全部この1年でゼロからスタートし、全て何とか滑り込みで「達成」したことにはなっていますが、所詮付け焼き刃。私は今研究においてそのしわ寄せに嘖まれています

 私の所属するゼミでは毎年『教育福祉研究』という紀要を出していて、修論を書いた人は大体これに寄稿します。内容は修士論文の発表会資料を少し手直しして、出してから修了式…が通例なのですが、私の場合、修士論文、修論発表会、紀要、同じ調査データを使って分析の視点を変えた別のものを書くことになりました。特に紀要に載せるということは、公に自分の研究を発表することでもあり、修論よりも公を意識して言葉を使ったり誤解がないように丁寧に説明したりしなければなりません。私は付け焼き刃で研究のタスクをこなしてきてしまったので、言ってしまえば勉強不足で、公と足並みを揃えた言葉の使い方や議論への乗せ方に大変苦戦しています。

 こんな不勉強で不完全な研究をどうして先生は載せようとしてくれるのか心底謎なのですが、「載せるのやめよう」と言いません。私もここまで来て諦めたくない。

 紀要に向けて色々書いてみたのですが、どうもタイトルから変えることになりそうです。すなわち、また振り出しに戻って、自分がこの研究を通じて言いたいことは何なのかを問い直して、言葉にします。積み上げてきたものを真っ新な状態に戻さなくてはならない時程、泣きそうなことはないですが、そういう時程思い切って全部手放してみた方が案外うまくいくことを私は身を以てよく知っているので、今回も逆にラッキーじゃないかぐらいの気持ちで原点に戻ってみることにしました。

 私は今の先生を求めて埼玉から北大に来たのですが、ゼミの先生曰く院試で注目しているのは「基礎的な知識・文章力があるか」と「頑固さがあるかどうか」だそうです。「うちのゼミ生はね、皆頑固ですよ。」

 

2.結局なんの研究してるの?

私の研究は対人支援について、ソーシャルワーカーなどによる専門的な支援ではなく、ボランティアとかによる方。対象者は子ども。「信頼できる関係って大事だよね」って大体皆経験あるし知ってるけど、なんで大事なんだ?とかそれってなんだ?が曖昧なので、実際に支援としてやるとなるどどうにも難しいらしい。私も病院で白衣着て医療ソーシャルワーカーとして働きたいとか大学入った頃思っていたのに、何故かボランティアやったりデンマーク行ったりしていて、その中で「大事って皆思ってるのに、できないなんてもったいないなぁ、なんでだ?」とぼんやり思い、気づけば教育福祉ゼミの大学院生。

修論の調査は、子どもたちとの関係構築に力を入れて活動しているNPOで、そこで活動しているボランティアさんに活動動機とか、何してるのかとか、思ってることとか、色々聞いてみました。その話がむちゃくちゃ面白くて、なかなか貴重なものだと思うので、ちゃんと公に出したいし出さなきゃいけないなと使命感を感じています。

 

3.なんでその研究してんのか?

そんな研究をしているのですが、さっき歩きながら「そもそもなんでそういう研究

することになったんだろう?」ということを芋づる式にぬるぬると辿って思い出してみました。

・うちのかーちゃんなんで死んだんだ?

まず大きかったのは「うちの母親はなんで死んだんだ?」という問いだったように思います。母親は私が高校3年生だった冬にがんであることがわかって、大学1年生の夏に亡くなりました。祖母の介護をしていて、具合が悪かったのに病院に行かず、見つかった時は手遅れ…というドラマのような本当の話です。自分が大学受験の勉強ばっかしてて母親を手伝わなかったからだ、とか原因探しをずっとしていて、ふと「うちの母親は福祉の制度があることも知っていたし、使っていたし、お金もあったから祖母を施設に入れることだってできたはずなのに、どうしてそうしなかったんだ?ちゃんと使えるものを使っていれば死ななかったんじゃないか?」と思うに至りました。

・デンマークはなんで世界で一番幸福な国なんだ?

そこから「実際に選択肢があること」と「実際に選択肢を選ぶこと」に意識が向くようになって、世界一幸福な国デンマークは、高福祉の国だから幸福なんじゃなくて、ちゃんと福祉に自分たちを繋げられるような雰囲気とか文化があるから幸福なんじゃないか?と思って、じゃあその雰囲気って何なのよってことを見たくてデンマークに行ったりしたわけです。たしかにデンマークに行ってすごいなと思ったことはたくさんあるんですが、一番印象深かったのは「風邪ひいた?あったかいお茶飲んで寝るのが一番治り早いよ、日本は薬飲んで仕事行くの?休まないの?」選択肢があって、それを選ぶというのは、なるほどそういうことか、と今振り返っても思います。

 

・人の意識の見えない束縛力ってこわい

世の中に漂う透明なそれは、「規範意識」とか「常識」とか色んな言葉で呼ばれるらしい。見えにくいし、普段意識しないけれど、たしかに大きな力を持っている分こわいな、と心の中で思ってました。目には見えないし無意識だけど、人に大きな影響を与えているものはたくさんあって、私はその中でも「人の意識」にアンテナがいつも向いてました。 

もっと掘り下げて、なんで人の意識にひっかかりを感じたのかを考えてみたら、私がそれに振り回されて生きてきたからなんじゃないかと気づきました。「期待」という言葉の方がしっくりくるかもしれません。

 

・「どうしてそうなった?」がよく起こる

「人の期待通りの人間にならなきゃ自分の価値はない」ってずっと本気で思ってました。というか、期待通りの人間になる以外の選択肢はあったのだろうか?あったとしても選択してしまったことにはとても否定的だったように思う。期待というのも色々あって、向けられる個人にとって良いと思えるような期待だったら良いんですが、我欲を満たすためにコントロールするという文脈で扱われる期待というのはなかなかに恐いと思います。私という人間は本来素直な性格で、期待を向けられるとその通りになろうとするように実装されているらしい。同時に大変自分に自信がなくて人の方が信頼できたので、良くも悪くもコントロールされやすく、おかげさまで本当だったら選択してはいけないような選択肢を選んで泥沼に嵌り、「どうして逃げないんだよ」「逃げなかったお前が悪い」と言われてしまう。逃げるという選択肢がなかったんですよ。

 

・困難は弱さではない

 私みたいな自信のない人は、多かれ少なかれ結構いるように思う。特に心身の不健康とか、不運とか、不安とか、ネガティブな状況に追い込まれてしまうと誰だって自信をなくすから、特別なことではないかもしれない。頻度が高いとしんどい。さらにはそういう弱っている時に限ってつけこまれてしまったりする。福祉の事例を読んでいると、端から見たら何故?!と思ってしまうような選択が続いてるけど、よくよく背景を見てみると、やるせなさともどかしさと、まるで自分を見ているような気分になって、泣いてしまう時がある。

 でも、自信のなさはあくまでその人の一部で、その人の全てではないのです。どうしてもその人を流されやすくて意思のない「弱い人間」と定義づけてしまいそうになるけれど、私はそれを大変もったいないことだと思います。向けられた期待通りに動いたっていいし、動けなくても良いし、動かなくてもいい、その人の感性が一番心地良さを感じる選択が、人間としての幸せに一番近いんじゃないかと、私は思うんです。その選択が難しい時に、「あなたにはちゃんと自分のために選択する力があるから、やってごらんよ」って顔をしている「特別に何をするわけではないかもしれないけれどちゃんとそこにいる誰か」と自分が繋がっていられるかどうかで、困難の切り開きは大きく変わってくる。私はそれを、とてもよく知っている。そして、「それって面白いな」と思う。

 

4.学んだこと

 そんな当事者性に基づき臨んだ院生生活は、ご存知の通り大いにやらかし、大いに物理的に移動し、大いに泣いて、予定よりも1年延びてしまいました。入学当初のいちばんの関心事は「私が北大生になれるのか?」でした、なつかしいです。

 学んだことは書いたら書ききれないですが、当事者研究に基づいて(笑)今後肝に銘じておきたい3点をまとめます。

 

・期待には応えてもいいし応えなくてもいい

生きていると色んな期待を向けられる、それが自分という人間に向けられるというよりは性別とか社会的な肩書きとかに対するものだったりする。特にこれからは結婚だ出産だってライフイベントが増えてきて、「次はあなたね!」みたいなまなざしを向けられたりする。こたえてもいいし、こたえなくてもいい。くれぐれも「こたえなきゃ」とも「こたえられない自分に価値はない」なんて思わないこと。

揺れ動き弱っている時ほど、目の前にある自分に向けてられた期待感に応えたくなる。その状況の中で、相手を期待通りに動かそうとする人もいるし、動かずにはいられない人もいる。我欲を満たすために人を動かそうとする人もいるが、私はその状況に何よりも怒りと許せなさを感じる。(この怒りを人に話ししたら「それって何がいけないの?」と理解されないこともあったし、ゼミの先生に言ったら「それは人間として当たり前の怒りです」とも言われた。人間の価値判断も多様だが、一番意識を向けなきゃいけないのはいつだって判断そのものではなく、何故その判断に至ったかという背景と理由である。)

 

・自分を信じるとは食べて眠ること

これは余談だけれども、「良いデザイン」を考える時にデザイナーさんが気に留めているのは、色使いとかコンテンツとかの中身そのものと同時に、「余白」なのだそうだ。考えてみれば今読んでる文字だって、黒である部分よりも白色の方が面積が大きい。色々通じるような気がする。良い判断を下す時、人は何かと理論的に組み立てたがるけれど、言葉として表せること以上の情報を取捨選択してその理論が出来上がっているなら、言葉に表せない部分にも良い判断を下す大きな要因があるってことなのだろう。

本来自分も他人も人間として正しい選択をとることができるが、心身元気じゃなくなるとその判断を下す感性はどうしても鈍る。元気であるために自分に何が必要か考えて選び取ること(自分を大事にする、とも言う)が重要なのだと思う。私はそれを詰まるところ「食べて」「眠る」ことだと思っていて、できれば寝起きのあったかいお味噌汁がいいし、鳥とか動物とか誰かの声とかで目が覚めると嬉しい。

 

・信頼できる関係とは、できることとできないことを認め合うこと

 どちらかというと信頼できる関係とは「あの人ならなんとかしてくれる」みたいな、できることに焦点が当てられがちな気がする。でも、私は逆だと思っていて、できないことをちゃんとできないと言えることの方がずっと難しいし、無理してこたえようとしてしまうし、「なんでこうしてくれないんだろう」とか相手にできること以上のできることを求めてしまったりする。

 ロジャースさんというおじさんが、カウンセラーとクライアントが信頼関係作っていく時に大切なのは「自己一致(素直な自分でいること)」「相手を受容すること」「興味・関心を向けること」で、「もし相手を受け容れられないって思った時は、素直な自分を優先しなさい」と言っていたりする(もちろん、ストレートにその旨を伝えるんじゃなくて、その伝え方にコツがある)。相手からしたら、もしかすると拒絶された気分になるかもしれないけれど、相手と自分のできることとできないことを確認しあって積み重ねていくことができる関係が、信頼できる関係なのだと思う。

 

5.反省とモラトリアムと大成長

 私の難儀はまさに上の3点にあった。「期待通りにならなきゃ自分に価値はない」と思っていたから嫌な思いをしても「できない」とか「嫌だ」とか逃げることができなかったし、それを嫌だと思っているのは自分のせいだと思っていた。自分が言えないものだから、相手に「できない」ことを提示されると全部だめになった気分になって、「やっぱり自分は誰にも受け容れてもらえないんだ」「受け容れてもらえると思った自分がバカみたいだ」という極論に至る。その結果、死にたくないのに死にたくなって、自傷に走るし、ごはんは食べられなくなるし、夜眠らなくなる。(永田カビさんのエッセイ漫画で本当に同じようなことが書かれていて、それを「自分には権利がなかった」って書いていた。めっちゃわかる)

 

 そんなこんなで自ら死にそうになる選択を下しまくって、私は「逃亡」と「療養」と称して1年間タイに行ってきました。今だから笑い話だけども、タイでは集団生活でごはんも家政婦さんにつくってもらえたので「安心して送り出せます」と言われたり、傷が生々しいのでむちゃくちゃ暑いのに半袖着られなくて「日焼け対策~笑」と冷や汗かいて逃げたり…笑

 でもある時から自傷しなくなり、ある日突然恐くて着られなかった半袖が着られるようになったり(嬉しくて友達にラインした)、帰国後ひとり暮らし再開してもちゃんと食事と睡眠を維持しています。むちゃくちゃ褒められました、嬉しいです。そして何より、こうやって言葉にして笑い話にできていることと、自分なりに振り返って原因を理解しようとしていることが、大成長だなと思います。

 

6.課題は「安心して付き合える人間になること」

 次なる課題は、信頼してもらえる人間になること、すなわち「できないことはできない」とちゃんと言ってもらえる人間になることです。

 あるとき自分の言動が、「自分は絶対にこんな風にならない」と思っていた人の言動とそっくりであることに気づいて絶望的な気持ちになったことがあります。その人は感情の起伏が激しくて、「自分の言動でその地雷を踏んでしまったらどうしよう」って緊張して関わっていた。それってある意味人間関係における脅迫だと思う。私は二度と絶対にそんなことしたくない。

私を助けてくれた友達とか周りの方にも、なんだかそういう気の張り方をさせてしまっているような気がしてならない。申し訳ない気持ちになります。これは言葉でそう伝えるだけでは多分だめで、ちょっとずつ信頼を積み重ねていくことが大事なんだと思います。がんばります。

 

7.これからのはなし

さて、話しが広がりまくって、自分の研究と、生い立ちと、学生生活を振り返って、どうつながってるかについてぶぁーっと書いてみました、ここまで約3時間ノンストップ、わろた。笑

 完全に思考メモみたいになってますが、最後に少し今後の話を書きたいと思います。

 

・就職するよ!

 ITコンサルになるってよ。笑

 「社会福祉士も精神保健福祉士も持ってるのになんでソーシャルワーカーやらないの?」「もう福祉のことはやらないの?」って聞かれるんですが、とりあえずコンサルやってみることにしたという感じです。経営のこととかIT云々のことは、福祉業界でもニーズが高まっているのに苦手とする人が多いなぁというのが個人的な印象。(ぶっちゃけ、私も苦手だよ)私は将来フリーランスになりたいと思っているので、福祉業界が苦手とするそれらのことをたたき込むことと、研究などで考え続けてきた福祉について問い続けること、そしてようやく関心があると言えるようになってきたデザインについてもっと勉強すること、まずはこの3つの切り口(もっと増えたらうれしいな)から可能性を探っていきたい所存です。どうなるかなぁ。できるかなぁ。

 このたび簿記2級に無事合格できたので、4月入社します。まずは徹底的にプログラミングをたたき込まれるらしいです。というか、11月以前に簿記に合格していた同期は、どうも私が簿記に悪戦苦闘している間、プログラミングの研修を既に受けているそうで、入社する前から既に色々出遅れている感が否めません。笑

 でもまぁ、私はマイペースの申し子なので、焦らずひとつずつ積み重ねていきたいと思います。独学で簿記やるの、本当に辛かったし、最後まで受かる気しなかったけど、ちゃんと合格できたので少し自信になりました。(問題は使えるかどうかって話だけど。)

 面接の時に、私は自分の絵持っていって「こういうこと考えながら物つくるの好きなんです」という旨を、言えそうだったら言ってたんですが、ここの会社は最初から最後まで「これ、面白いね」と言ってくれました。入社後の仕事のイメージが全然湧かないんですが、「人の話とか見たものとかを元に考えながら物をつくる」というのが私の好きなことの本質なので、そういうことができたらいいなぁと思うし、あわよくばそこに「デザイン」というキーワードが入ったら嬉しいなぁと思います。

 何年働こうとか、その後何したいみたいなことは考えてますが、あんまり縛られずにまずは今まで通り面白いと思うことに一生懸命になってみようと思います。

 

・どう生きるか、みたいな話

 誰とは名前を出しませんが、私には「この人みたいになりたい」という憧れの方が3人います。どの方も仕事も経歴も住んでるところもバラバラなんですが、3人に共通しているのは「新卒で数年間企業で働いていたこと」「仕事や関わる人の話をすごく楽しそうにすること」「びゅんびゅん日本中世界中とびまわってること」

彼らの辿ってきた「新卒で数年間企業で働く」という段階を私も辿るわけで、憧れの先輩の背中を追いかけていきたいなーと思うところです。

でも、考え始めると自分の人生において望むことってどんどん増えてきて、色んな事との兼ね合いどうしようとか杞憂します。笑

 だからちゃんと書いておきたい、その時々の自分の直感を信じたい。あと、たくさんは会えないのだろうけど、私の直感が本当に面白いと思った人たちを大事にしていきたい。そうすれば、世界中どこで誰と何をすることになっても、悪いようにはならないんじゃないかなぁと思います。

 

8.おわりに

 最後に、またゼミの先生の話なんですが(笑)

 タイに行くと決めた時、私はタイに行って何をするかみたいな目的づくりに躍起になってました。大学院に来た時もそうで、周りの人たちはもう働いているのに自分は学生で、何か意味のあることをしなくちゃ、意味のあることができるんだろうか、大学院まで来て自分にその価値があるのか、とか諸々いつも悩んでました。そしたらゼミの先生が言うんですよ、「別にそんなのなくてもいいんじゃない?」って。現地で考えられることを考えてくればいいじゃないって。私がゼミでごにゃごにゃしたままのレジュメ作って持っていったら、「今何を考えているのかよくわからないけれど、いつか必ず言葉にして僕たちに説明してくれるだろうから、僕たちはそれを待ちましょう」って言うし。一時帰国した時も修論の相談したら「タイにいる間は修論の事を考えるなど無駄な抵抗はやめましょう」…本当にその通りなんですが。笑

先生は、私が自分の書きたいことを自分で言葉にするのを、ずっと待っていてくださっているんです。私はそれだけは絶対に絶対に裏切ってはいけないと思っているし、だから何が何でも紀要を書いてやると思っています。

 

ここらへんでやめときます。いつかまた書きます。

To be continued…笑